「子育ては楽しいですか?」
もし、そんな質問されたら、あなたはどのように答えますか?
もちろん、私は声を大にして言うでしょう。「楽しいわけありません!」と。
そういう私ですが、周りからは「子育て、楽しんでるね~」とよく言われます。確かに、子育ては楽しいものではないですが、日々子どもと楽しんでいます。
って、私、矛盾してますか?
子育ての不安や悩みはた~くさんありますが、私は今日も元気に笑顔で母しています。まだまだ先の長い母親業、笑顔なくしては手強いわがままモンスターたちと戦っていけませんから。
もしあなたが今、子育てに行き詰まり、笑顔を取り戻そうとこのページにたどり着いているのであれば、私が実践している子育てを楽しむ10個のヒントを読んでみてください。子どもの年齢や生活環境も違い的外れなこともあるかもしれませんが、何か一つでもあなたの笑顔を取り戻すヒントになれば嬉しいです。
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①子育ては楽しくない!
ぎゃ~と子どもに泣かれたら、思わずこちらも「ギャー」と叫びたくなる。子どものこんな顔は母親にいちばんのストレスを与えますよね。
「子育て大変」「疲れた」「しんどい」
そんな言葉がついぽろりとこぼれていませんか?
そうです。そもそも、子育ては楽しくないものなんです。それをしっかり受け止めましょう!
子育ては「命を育む」というとてつもなく大きなプロジェクトです。母としてしっかり地に足をつけ、責任を持って当たらなければならない一大ミッションです。まっすぐ平坦な道ではなく、常に坂道をのぼるようなもの。一歩いっぽが大変であり、疲れることであり、しんどいことなのです。
子育ては楽しくない、つらいもの。私はそれを受け止めているので、それに不満はありません。むしろ、斜面を一歩前進できた時の充足感に喜びを感じ、大変な子育てから「楽しさ」見出しています。
②比べない!
なぜ、人は落ち込むのか、考えてみました。それは自分が下した自分の評価に満足しないからではないでしょうか?
誰かと比べて自分が劣っていると感じる、あるいはよその子どもと比べて我が子が劣っていると感じる。なんだか落ち込みますね。
ところで、ボールとスイカ、どちらも丸い物ですが、比べられますか?ボールは投げることができるけれど食べることはできない。スイカはおいしいけれど投げることはできない。ここに優越をつけることはできませんよね。
人も同じです。人はみな違います。他人と比べることはできない、比べる必要がないのです。比べているのは当の本人なのですから、落ち込む原因は自分が作っていたというわけです。だから私は人と比べません。
③悩まない!
なぜ、人は悩むのか、考えてみました。それは、壁にぶち当たり、それをどう乗り越えればよいかすぐによい案が見つからないからではないでしょうか。
人は一生懸命考えれば考えるほど、思考が極端になりがちでついには自分自身を追い詰めてしまうことにもなりかねません。
しかし、人の心ほど変わりやすいものはありません。人の心に絶対はなく、外部からの刺激などにより常に流動しています。
だから私は、壁にぶち当たってしまった時は、悩まないようにしています。気持ちを落ち着けて、客観視するように努めています。すると、何かと外部からの刺激があり、頑なになっていた心が動きを見せたり、思わぬところに抜け道を見つけたり。
悩むような時はちょっとさぼってOK。悩みぬいて解決しても、棚から牡丹餅的に解決しても新たな一歩を進めるのなら、楽して解決したいですよね。
④ぶれない!
「前はいいって言ったじゃん」
と子どもには絶対に言わせない、それが私が子どもが生まれてから今日までずっと守っていることです。
私は自分の考えや子どもに言ったことは、絶対に変えません。親の言うことが毎回違うと、子どもは混乱してしまうからです。一度作った親子間の決まりごとは、次回一緒に改定するまでは一貫する。子どもが守れなかった時にはしっかり叱る。これが我が家のルールです。
親子間のルールも理不尽にならないようしっかり親子で考え納得の行くものにすることが大切です。子どもの納得の行かないルールは当然子どもは従いません。話し合い、理解し合うこと。その上で決まったルールは親にとっても子どもにとっても絶対であり、それを破ることは非難に値する行為であるとしっかり教えます。
明確なルールを打ち立てぶれないこと、それが親子間の信頼関係を高め、摩擦も防いでくれます。
⑤子どもの目線で説明する
長男が2歳の頃のことです。
育児サークルに行き、近くにいたお母さんに話しかけました。そのお母さんは、少し離れたところで夢中になって遊んでいるご自身の娘さんを指さして私に紹介してくれました。女の子は遊んでいた手を止め、ちらりとお母さんを見てニコリ。それを見たお母さんは笑顔でその子に向かって手を振ったのです。
すると、どうでしょう。驚いたことに女の子の顔は急変して、狂ったように泣き叫びました。
慌てて駆け寄ってなだめたお母さんに、女の子の涙の理由を聞いてみると、お母さんが呼びかけのつもりで手を振った行動が、女の子には「バイバイ」に思え、置いて行かれると勘違いしたとのことでした。
人の認識というものは、その人の性格、体験、その時の状況に応じて変わってきます。とくに経験の少ない小さな子どもの思考回路は、親の複雑な思考回路とは違い、思わぬところで双方に誤解が生じやすくなります。同じ場所にいても、同じ言葉を聞いても、大人が見ているものと子どもが見ているものは違うのですね。
以来、私は、子どもと話す時は、子どもの目線に合わせるように、一つひとつ丁寧に説明するように心掛けています。面倒に思う時もありますが、説明が足りなかった時はたいてい後で何らかのトラブルになっているので、予防策としても説明は大切な作業だと思っています。
⑥笑って泣いて心をかき混ぜる
どうしても心が晴れない日もあります。それは人間なので仕方ないこと。私たちは心のアップダウンを繰り返しながら、日々成長しています。
頑固な私は、滅入ってしまった気持ちを自力で盛り上げることが苦手なので、そういう時は、寝る前に暗い部屋で一人で映画などを観たりします。その時の気分に応じてコメディだったり感動的なものだったり、とにかく一度現実から逃避し、ストーリーの中に入り込んで、思いっきり笑ったり、思いっきり泣いたりします。
イメージ的には、行き詰まって淀んでいる心を、映画というマドラーで思いっきりかきまわしてもらう、といった感じです。観終わった後は、不思議と気分が軽くなり、悩んでいたことがそれほど大したことのないように思えてきます。
他人の気持ちや行動、あるいは状況を変えることよりも、自分の心の持ちようを変える方がよっぽど簡単です。壁はいつも自分で破らなくてもいいのです。他力で破ることができる環境に自分を持って行きましょう!
⑦ひたすら喋る
お友達をお茶などに誘ってひたすら喋ることも、私のストレス解消法です。昔の友だち、全く境遇の違う友達などと会い、抱えている問題とは無縁の話題で喋りまくります。
私は、思いっきり行き詰まった時に誰かに相談することを避けるようにしています。なぜなら、あまりにも自分の感情が激しくなりすぎて余計疲れてしまうからです。また、自分の立場や状況を100%理解してもらうことは難しいものです。共感を求めたつもりが、余計孤独を感じた、などということにもなりかねません。
さらには、落ち込んだ時の自分の口から発するネガティブな言葉や感情は、そのまま自分に舞い戻り、落ち込みは一層ひどくなります。ですから、私は誰かに相談する時は、なるべくある程度心の状態が安定している時にしています。そうすることで、向けられたアドバイスも素直に聞く耳をもつことができます。
⑧ひたすら寝る
映画を観る気分になれない、ましてや人にも会いたくない時もあります。そんな時は、私は「これは重傷だな」と自覚し、全てをなげうって「えいっ」と布団に入ります。そしてひたすら寝ます。気の済むまで寝ます。家族にもしばし家事を放棄することを宣言すると、寝ることに集中できます。
心と身体は強く結びついています。心が強いダメージを受けた時ほど、身体をしっかりケアし、共倒れにならないようしたいものです。
とくに母親業は家族の生活を支えるなくてはならないものです。365日休みなく仕事が続きます。無理をした結果、家事や子育てができない期間が長引くほうが家族に負担をかけてしまいます。まずは健康第一。予防と早期療養でご自身の心と身体の健康を第一優先しましょう。
⑨完ぺきでなくていい
ある時、子どもが言いました。
「母さんは、ちょっとおっちょこちょいだからねぇ」
不思議です。この言葉を聞いて以来、私は肩の荷がすっと下りたように楽になりました。それまでの私は、どこか全ての責任を背負った偉大な母を演じていたのかもしれません。
母でも間違う。母でも落ち込む。そんな母が一生懸命に子どものことを考えてくれるから、喜んでもらえるように頑張ろう。子どもは子どもなりに、そんな風に思ってくれているのかもしれません。
ある日の長男の日記には、「母さんを悲しませてしまった」とありました。約束を破った彼への私の怒りが、彼には私の悲しみに感じたようです。
最近の私は、子育てでうまく行かなくて疲れてしまったら、「お母さんは疲れたから寝る」と自分の弱さを子どもに見せています。子どもにとっても、親の立場に立って考えるよい機会となり、そこから自立心が育ったりもするように思えます。
⑩今を大切にする
末っ子が3歳の頃のことです。
引っ越したばかりのマンションで、末っ子は敷地内の公園にいた子どもたちのかくれんぼに混ぜてもらっていました。引越しの片付けに追われていた私は、気が付くと夕方になっていたので、娘を呼びに公園に下りました。
ところが、娘の姿がどこにもありません。一緒に遊んでいた子もしばらく姿をみてないと言うのです。他のお母さんたちにも協力してもらって敷地内を探しましたが、娘はどこにも見当たりません。娘がいなくなってからすでに2時間以上が経過していました。
そうこうしていると、「小さな女の子がマンションの横の建物で泣いていた」という情報が入りました。娘は敷地外にいるということに私は震えました。引っ越してきたばかりの知らない町、知り合いさえいない時でした。
娘にもう二度と会えないかもしれない。あの時の自責の念と恐怖心は未だに忘れることができません。娘は無事、警察に保護されていましたが、本当にあのまま会えないことになっていたら、と思うと、娘との思い出も楽しみにしている将来も何も意味を持たないような気がしました。
そうです。「今」が何よりも私には大切なんです。以来、私は1日いちにちを一生懸命子どもと向き合うようにしています。いちばん大切な日が毎日続いている私と子どもの日々。考えればとても素敵ですよね。
悩んでいる「今
も素敵です
最後まで読んでくださってありがとうございます。悩んでしまい、何とか乗り越えようとされている「今」、それもまた素敵な瞬間だと私は思います。
「神は乗り越えられない試練は与えない」と言います。焦らずゆっくり、お子さんとの時間を大切にされてください。私も、これからも子育てからたくさんの「学び」と「楽しさ」を見つけていこうと思います。